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日本美術で表現された緊縛の歴史

緊縛は紐や縄で囚人を拘束する捕縄術の武術的研究に起源がある。捕縄術は江戸時代(1615-1868)に日本中で江戸奉行所の役人によって実践された。

歌舞伎において登場人物を縛る行為を演目に加えることは、視覚的なインパクトと劇的な緊張感をその演目に与えた。そして浮世絵における多くの歌舞伎の場面を描いた作品は捕縄術と関連している。議論の余地無く、この種のグロテスクなものとして最もよく知られている画像は月岡芳年(1839-1892)の「奥州安達ヶ原ひとつ家の図」(1885)であり、この作品では妊婦が拘束され小屋の垂れ木から逆さ吊りにされている様子を描いている。

捕縄術のエロティックな側面を最初に探求し、緊縛を芸術として推進したのは伊藤晴雨(1882-1961)とされている。芳年の作品に触発され、晴雨は同じような肉体的苦痛を味わっている女性を描き、見た者を当惑させた。このような作品の研究のために、晴雨はモデルを縛って撮影をした。これらの写真は総体的に視覚に訴えるドラマとして、また心を揺さぶる明暗の美のもつ形式主義的側面に対して絶大なる賞賛を得た。

1952年から1957年の間、初めてBDSM(嗜虐的性向)が世界的に本流として注目を浴びた。そしてその時、アーヴィング・クロウ(1910-1966)がモデルのベティ・ペイジ(1923-2008)を様々な形で拘束して撮影をしたシリーズを制作した、1955年の1月には、ペイジはプレイボーイマガジンで「月間プレイメイト」として特集を組まれた。それ以降、荒木 経惟(1940年生)のようなアーティストがクロウの例に習い、緊縛はアンダーグラウンドのアートパフォーマンスとして、またエロティックな写真のテーマとして賞賛を得た。

緊縛は現代日本のエロティックアートとして、いたって普通のテーマとなり、そしてこのような画像は時には国際的な評論家から強い反感を受けるが、日本におけるその人気を見過ごすことはできないと、この展覧会で証明している。

尚、日本人女性の緊縛に対する見かたについては、この展覧会にて展示されているツバキアンナ(1970年生)の作品をご覧ください。

左:伊藤晴雨(1882-1961)
無題

1953年