春画の美的変革:模倣と革新
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写真機材が日本ではまだ普及しておらず、また写生も円山応挙(1733年—1795年)やその弟子の松村呉春(1752年-1811年)ら円山派が行っていた以上には一般的にならなかった事実を鑑みれば、江戸時代(1615年-1868年)に絵師達が自分でデザインし作品を製作していた方法は注目に値する。絵画と版画作成の修行において、構成と図解的なモチーフは、美術史上の先例である絵手本『芥子園図伝』(1679年)などに限られていた。それ故に絵師達の作品において、同じモチーフが繰り返し利用されることはある程度しかたなかった。

江戸時代に活躍したほとんどの春画の絵師達は『小柴垣草紙』のような美術史上の先例に詳しかった。『小柴垣草紙』の原本は1172年頃まで遡るが、今回の展覧会ではそれを後に模倣した画譜を展示している。春画の原点がそんな昔であるにもかかわらず、手本とされる様になった作品は、19世紀初期の頃のもので、その後もそれらが繰り返し利用されていたようである。

相変わらず画像は再利用される傾向にあったが、19世紀後半当時の春画の世界では驚くほどの革新とされたものがあった。春本の中でクライマックスを演出する為に絵師達は版元と協力して、折り込みを使い、別紙をページに貼付けて、それをめくり上げると下に隠れた挿絵が見える様な工夫をした。また、絵師と版元は、枠から少しだけはみ出した取手を読者が引いたり押したりすることにより、登場人物がまるで性行為をしている様に見える技術を開発した。