春画に登場する外国人:予期せぬ訪問者
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江戸時代(1615年-1868年)将軍は鎖国をし、外交的孤立政策をとっていた。中国商人、もしくはオランダ東インド会社の代表だけが長崎の沖合にある出島に上陸する事を、そして韓国商人は長崎ではなく対馬へ寄港することが許されていた。しかし、キリスト教と西洋文化は当時の日本の政局の安定を揺るがす危険があると考えられていた為、その他全ての外国人の訪問は表向きでは禁じられていた。日本美術において、この当時の外国人を描いた作品は「南蛮画」もしくは「長崎絵」とよばれた。

1853年、アメリカ海軍のマシュー C・ペリー准将が横浜近郊の浦賀に上陸し、国際貿易のための開国を日本政府に迫った。人々は、日常生活の中で突然外国人と遭遇し、絵師達は横浜絵を描き、外国からの訪問者や威厳のある船、そして不思議な習慣に驚きを示した。それとは対照的に、多くの春画の絵師達は日本の女性を追い求める外国人商人達を描こうとした。何人かの絵師達は、自分たちの絵を売る為に外国人に対する大衆の好奇心をひこうと努め、また他の者は外国人の客を日本の遊女が世界で最も理想的な女性であるという証拠だと考えたが、その他の人々は、外国人が日本を性の植民地として侵害することに反対して抗議をした。