19世紀以前の春画:春本にみる宗教のパロディー
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江戸時代(1615年-1868年)、国中を統治した徳川将軍のなした偉業の一つは、一般大衆への教育の普及であった。17世紀の初頭に読み書きができたのは、裕福な侍の家族だけであったが、その後の250年間で11,000以上の寺子屋を作り、西洋諸国と競い、識字率をおよそ人口の40%にまで上げた。寺子屋の生徒達は読み書きとそろばんの使い方を習い、教材は、主に道徳に関する儒教の教えと古典詩に限られていた。

それゆえ、江戸時代初期に一般に普及し始めた小説や、その他気晴らしのための本は、読者が一度か二度は一部分記憶することを強いられていた、紫式部(978年-1014年頃)の『源氏物語』のような、平安時代(794年-1185年)の物語を非礼にも、しばしば参考にしていたことは驚くべきことではない。

近世日本における最も重要な宗教文献は『古事記」(8世紀初頭頃)であり、それは神道の神々と、そしてその神とは生物、及び命の無いもの、そのすべてに宿っているという教えに基づいた日本固有の信仰を描いたものである。神道神話では天照大神という太陽神は、驚く程に人間と同じ様にふるまい、そして神々がどうやって天地万有を作ったかという話は、性行為を連想させる。

日本の仏教において、最も崇敬された文献は、森羅万象とは何かを説き、また信者を正しい道に導くために書かれたお経であった。仏教徒の集いで信者達は、何度唱えたかを数えるために数珠を持ってお経を繰り返し唱えた。お経の内容は分かりにくい部分があったため、僧侶や大僧正が説法の中でその解釈を説明する事もあった。

道教は現代の日本では世間一般に普及している信仰とは考えられていないが、江戸時代(1615年-1868年)の小さな地方の信者達の団体の間ではかなり熱狂的に信仰されていた。荘子(紀元前4世紀頃に活躍)が書いたとされる『荘子」や老子(紀元前6世紀頃に活躍)の作とされる『老子道徳経」(紀元前4世紀後半頃)のような中国道教の文献は、自然界の基本的な力である男性的な「陽」と、それとは真逆で女性的な「陰」について、またその二つの力のバランスを保つ方法について、しばしば哲学的に語られたものであった。