19世紀以前の春画:春画にみる宗教のパロディー
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浮世絵版画と性、そして宗教との繋がりは、しばしば一般大衆にひどく誤解されている。17世紀以前、「うきよ(憂き世)」という言葉は「苦しみの世界」という意味であり、仏教の教えでは残忍な人間の本質を表し、宗教を信じる心の重要性を説くために使われていた。仏教の信者達は生、死、転生の終わらない循環から逃れ、最後には「涅槃」という名の理想の境地に行くことを追い求めた。

1666年に浅井了意(1612年頃-1691年)は、京都の島原遊郭についての作品の中で、遊女を阿弥陀如来に例え、「浮世物語」のタイトルでは皮肉にも本来「苦しむ」という意味の「憂き」を「浮かぶ」という意味の「浮き」に置き換えた。それにより「うきよ」は、「浮世」と言う意味に発展し、宗教的解釈とは完全に決別し、了意により具体化された快楽的でのんきな生き方を奨励するためにとってかえられた。

17世紀に活躍していた絵師達が描いた春画を多く含んだ木版画を表現するために、1682年には菱川師宣(1618年-1694年)が「浮世絵」という言葉を作り、了意の言葉遊びをさらに進化させた。それ以来、浮世と言う表現は、皮肉で世俗的な意味をもち、宗教説話が描かれた浮世絵作品では、遊女の姿や日本の性文化を連想させる物を描き込むことにより、絶えずその説話を風刺した。

この展覧会で展示されている作品に見られるように、18世紀、多色刷りの先駆者である鈴木春信(1725年頃-1770年)のような浮世絵師は宗教的題材を性的で滑稽な方法で描き続けた。これらの作品は、神聖なものを冒涜しているととがめられることなく、むしろ当時のほとんどの人に好意的に受け入れられ、春信は中国と日本の古典文学に深く精通している人として知られていた。春信は、仏教に関連した登場人物を優しく思いやりにあふれた人に描き、直接的な性描写を避ける事により、彼の宗教への敬意を表現した。