渓斎英泉
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もし春画が浮世絵の歴史の評価から外されるとすれば、江戸の浮世絵師、渓斎英泉(1790年-1848年)の貢献は吉原の遊郭の遊女の肖像のみに限られるようである。そしてそれは、彼の前の時代に活躍した喜多川歌麿(1753年-1806年)に加え、彼の師匠である菊川英山(1787年-1867年)のスタイルを不滅のものにした。これらの偉業が彼の美術史上の評判を確かなものにしている間、英泉の素晴らしい達成は春画のなかにもあった。この展覧会では『絵本婦嘉見草』(1823年頃)からの8点に加え、彼の傑作と言われる『閨中紀聞枕文庫』(1823年)全三巻全てを含む18点の英泉作品を展示している。

英泉が19世紀に発達させた春画の絵画様式の一つが今回展示されている作品の中に見られます。日本の性文化の基になっている「通」の概念に加え、性行為の官能的な楽しみを伝えるために、英泉はぼんやりした背景の中で抱き合い、優雅に飾られた織物と悩ましげにからみあい解け合う体、激しく揺り動く手足、そして髪はきちんと整えられた不安そうな顔の男女を描いた。

英泉は春画の表面的な部分にとらわれず、性についての発見も作品の中に描いていた。彼の解剖学的研究は、人間の体は性的玩具、もしくは美しい物体としてではなく、複雑で壊れやすいものであることを示している。『人体解剖学』(1918)を出版したヘンリー・グレイ(1827-1861)よりほぼ100年前に英泉は「枕文庫」の中で生殖器の魅惑的な構造を描いていた。しかしながら、彼の科学的関心は決して臨床目的ではなく、英泉は力強く、時には不気味なユーモアーセンスでそれらの画像に活力を注いだ。