初代重信(1787年-1832年)は葛飾北斎(1760年-1849年)の元で浮世絵製作を学び、その後、北斎の娘と結婚し養子になった。重信の描いた春画の作風は、着物の繊細な演出や、登場人物がページをまたいで見開きの状態で大胆に構図され、その周りの空間をセリフで埋めるなど、時折、北斎の影響が見られる。初代重信は、常に新しいスタイルの研究を続け、歌川国芳(1797年-1861年)や他の同時代の絵師達の手法も自由にとりいれた。
重信の『柳の嵐』(1832年頃)は彼の最高傑作というだけではなく、春画としても最も重要な作品の一つとして賞賛されている。その作品は男色や性的暴行、女性市民権や外国人に対する一般大衆の認識など、日本の性文化の複雑な様相を扱っている。もっとも劇的にグロテスクな美を体現し、生々しく、またロマンティックではなく同時に深い不安を呼び起こすような性表現で見る者に挑戦する。この作品を通して初代重信は我々に性とは人間の存在にとって必要不可欠なものであるが、必ずしもいつも美しく快適な経験ではないと思わせる。『柳の嵐』からは計11枚がこの展覧会で展示されている。