西川祐信
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京都を拠点として活躍した西川祐信(1671-1750)は、主に革新的なスタイルの版本の挿絵で知られている。先陣の菱川師宣(1694年没)に比べ、祐信の描く線はとても優しくそして彼の描く人物は洗練され、上品な姿をしている。彼は贅沢な着物に身を包んだ宮廷の女性から、貧しい地域に住む女性まで、様々な社会背景の女性を描く事を得意とし、その作品に登場する女性達全てにおだやかな感性と気高いエレガンスさを吹き込んだ。浮世絵の世界において、江戸時代初期では祐信ほど女性の生き方を理解し、彼女達の幸福について真面目に考えている絵師はいなかったであろう。それが春画の世界において祐信作品が高く評価された理由である。

1710年から1733年の間に祐信は少なくとも30册の名の知れた春本を出版した。中でも最も素晴らしい作品を生み出した時期は、彼が春本の三分の一以上を出版した1719年から1722年の間の事である。幾人かの学者は春本の需要の高まりは、八代将軍徳川吉宗(1684-1751)により始められた享保の改革(1716-1745)への反発であると主張したが、これは誤解であると言える。実際に吉宗が春本の出版を禁止したのは1722年であるため、祐信の春本出版の最盛期は出版を禁止された1722年より前であり、出版が禁じられた1722年以降、祐信は享保の改革に従い、春画の製作を自粛していく傾向にあった。

祐信が京都に住んでいたという事実と彼の洞察力に満ちた女性の描写は、春画とは江戸の男性の為だけに作られた物であるという考えを覆すことになる。彼の描いたものー 積極的に若い男性達を誘惑する女性達や、パートナーに幸せそうに誘われている様子、もしくはパートナーと春本を一緒に楽しむことー は、日本の男性上位社会における女性の暗い性体験の現実から目を背けたわけではない。むしろ江戸時代の日本の性文化とはある程度男女が平等である、と我々に確信させる。