第二章:近世以前と近世初頭の日本における性別の持つ役割とは
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我々が、ある人の性別を見分ける際に、多くは、その人の肉体的特徴で男性か女性かを判断するが、その判断基準とは別に、その人の身のこなし・服装・性的嗜好・言葉遣い、などの要因が元になった自己同一視の主観的、潜在的なもので判断をした場合は、男性もしくは女性のどちらにも属さない別の性が存在する事がわかるであろう。近世以前と近世初頭の日本では、生理学上の男性とは19歳で男(野郎)と見なされ11歳から18歳までの間は若衆と分類される。そして現代の学者達は若衆とは明らかに第三の性別であると主張し始めた。日本の版画(浮世絵)や絵画の中に描かれた若衆の優雅な姿は、時々女性と見間違えてしまう。若衆の最もわかりやすい特徴は、長い振り袖の着物と一部を反り上げた頭、そして時には明るい色のかぶり物を頭に被っている事である。

18世紀初頭まで若衆は日本の社会の中で重要な役割を果たしていた。特に歌舞伎役者、仏教寺院のお稚児、そして大名のお小姓など。これらの役割において若衆は成人男性と女性の両方の性欲を満たす為の存在であり、またしばしば若衆は美人画の中にも描かれていた。成人男性と若衆の関係(男色)はしばしば同性愛として表現される一方、第三の性としての若衆の新しい解釈は「同性愛」や「異性愛」という表現方法を複雑にしてしまう。20世紀になるまで、成人男性同士もしくは年齢を問わない女性同士の同性愛は公には認められていなかった。そしてこれらの関係を言及した物は江戸時代の芸術や文学には極めて珍しかった。

僧侶とそのお稚児達との密会を書いた話は平安時代(794-1185)にまで遡る。若衆と男色を最も包括的に描いた本は、「好色一代男(1682)」で知られる井原西鶴(1642-1693)の書いた「男色大鑑(1687)」である。当時、女形と若衆形の両方を演じた歌舞伎の若衆役者が大変な人気であったため、西鶴の「男色大鑑」は、まず若衆歌舞伎の役者やファンの間で熱狂的に受け入れられた。

若衆と男色に関しては、現代の人々に難問を問いかける。:この全てが混沌とした物の中で、江戸の文化を理解し賞賛したいという気持ちと、男色やお稚児・お小姓などを現代社会で言う性的虐待であるとして受け入れがたい気持ちとをどう調和させるべきか。江戸時代と江戸時代以前での男色の流行を理解しようとする時に、現代では不道徳に見える男色について、近世初頭の日本文化に関する否定的な先入観を悪化させすに、話し合えるかどうかは、大きな疑問である。これらの質問に対する充分な答えを出すためには、近世以前と、近世初頭の日本の性文化をより理解する事が必要である。